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重慶のブーイングの意味。

サッカーと歴史をつなげるのもなんですが、ブーイングが教えてくれる事もあった。
重慶と日本の関係を書いてみようと思います。
ナニを思うかは皆さんの自由です。



昭和12(1937)年7月7日夜、北京郊外の廬溝橋付近に駐留し、訓練をしていた日本軍に対し、銃弾が発射され、これが付近にいた中国国民党軍からの発砲ではないかと考えた日本軍との間に交戦状態が勃発する。(廬溝橋事件)

日中戦争勃発

日本軍、南京大虐殺を起こす。1937(昭和12)年12月13日の南京陥落の翌日から6週間 の間に、女・子供を含む南京市民や無抵抗な中国軍兵士の捕虜を含む約30万人が殺害されたとされる事件。
現在でも謎が多い。

南京を追われた国民党政府は、揚子江をさかのぼって漢口に首都を移動。
昭和13年末、ここも日本軍に攻略されると国民党政府は、さらに揚子江をさかのぼって重慶に首都を置いた。

重慶大爆撃。
1938年2月18日から1943年8月23日にかけて、日本侵略軍は9000機余りの爆撃機を出撃させ、重慶に対して5年間にわたり爆撃を続けた。
1941年6月5日夜、日本軍の爆撃機は3陣に分かれて順番に重慶を爆撃。5時間もかけて行われたこの爆撃によって、重慶市中心部のトンネルに逃れた市民1,000人が窒息して死亡。

重慶の被害

日本軍の爆撃により、11,889人の重慶市民が殺され、14,100人の重慶市民が負傷し、壊された家屋は3万軒余り

2001年4月、日本軍による細菌戦によって被害を受けた中国人が日本政府に賠償請求をした。これを支援するため、日本弁護団の構成員が重慶を訪れ、調査を行った。その結果、日本が重慶に細菌爆弾を投下したことが明らかになった。
by remotya | 2004-08-07 12:36 | どうでも良くない事・・・
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